在日コリアン「私たちは差別されています。選挙権もありません」24/11

概要 2024.11.13

集英社オンラインは、在日コリアン3世の韓光勲氏による書籍『在日コリアンが韓国に留学したら』の一部を抜粋・再構成し、日本と韓国で経験した差別や、自身の言語に対する思いを紹介しました。

韓氏は1992年生まれで、大阪で育った韓国籍の在日コリアンです。

記事では、在日コリアンは日本で選挙権がなく、一部の公務員にも就けないことなどを制度的な差別として取り上げています。

一方、韓氏自身は、両親や祖父母の世代と比べて日本での差別は改善されていると説明。就職活動で差別を感じたことはほとんどなく、大手新聞社に勤務した経験もあるといいます。

日本で約30年間暮らす中で、韓国籍を理由に仲間外れにされたことや、通行人から差別的な言葉を浴びせられたことなどを紹介していますが、本人によると、強く記憶している差別体験は4~5回程度だったとのことです。

また、オランダへの1年間の留学中には、アジア人という外見を理由に5回ほど差別的な言動を受けたとし、日本での経験より頻度が高かったと振り返っています。

韓氏は、日本には親切な友人が多く、差別から守ってくれた人たちもいたとして、日本社会への信頼を失わずに済んだことへの感謝も述べています。

韓国については、韓国語が流暢ではないことを理由に英語で話しかけられるなど、在日コリアンへの理解が十分ではないと感じる場面があると説明しています。

さらに、日本で「日本語がうまいですね」と言われることも、自分が対等に扱われていないと感じる理由の一つだとしています。

韓氏は、こうした何気ない言葉によって傷つくことを「マイクロアグレッション」と表現しています。

一方で、従来から言われてきた「在日コリアンは日本でも韓国でも差別される」という見方については、現在の状況にそのまま当てはめることはできないとも述べています。

また、自身の母語は日本語であり、韓国語は生まれながらに話してきた言葉ではないと説明。ただし、家族の歴史と深いつながりがあるため、単なる外国語とも考えられないという複雑な思いを語っています。

今回の記事は、韓氏個人の経験や受け止め方を中心に構成されたものです。日本での差別が以前より改善していると本人が認める一方で、日常的な言葉の受け取り方についても問題を提起しています。

ただし、本人が傷ついたと感じることと、その言葉が必ずしも差別に当たるかどうかは、分けて考える必要があるのではないでしょうか。

また、外国籍の人に選挙権がないことや、公務員の一部職種に国籍要件があることについても、制度の趣旨を踏まえた議論が必要です。

【出典】集英社オンライン
https://shueisha.online/articles/-/251863

執筆:編集部 

以下X(旧Twitter)より

【Japannewsnaviさんの投稿】

https://twitter.com/JapanNNavi/status/1857613956703277259
引用元 https://shueisha.online/articles/-/251863

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編集部Aの見解

在日コリアンが直面してきた問題について、韓光勲氏の著書を通じて現代の視点から理解を深めることができました。日本で生まれ育ちながらも韓国籍を持つ在日コリアンは、独特の立場に置かれており、日本でも韓国でも「差別される」という言葉が象徴的に語られる背景には、長い歴史と複雑な状況があることを改めて感じます。

まず、日本における在日コリアンへの制度的な扱いについては、確かにかつては厳しいものがあったようです。外国人登録制度による指紋押捺や、一部の公務員職への就任制限、さらには選挙権が与えられていないことなどが挙げられます。こうした制度的な差別は、特に戦後の日本社会において根強いものでした。しかし、在日コリアンの人々と日本人市民が共に取り組んだ運動の成果として、現在ではかなりの改善が見られるのも事実です。例えば、就職活動における差別は大幅に減少し、個人の能力や努力が評価される時代になりつつあります。

一方で、選挙権の問題や国家公務員としての採用における制限は依然として残っています。この状況について、どのように考えるべきかは議論の余地があるでしょう。公務員は国民に奉仕する職業であり、選挙権も国民主権の象徴として重要な権利です。それを日本国籍を持たない在日コリアンに与えるべきかどうかについては、国の主権やアイデンティティの問題とも絡むため、慎重な議論が求められると感じます。

また、韓国における在日コリアンの扱いも興味深いテーマです。韓国では、韓国籍を持ちながらも韓国語を流暢に話せない在日コリアンが「よそ者」として見られることがあるという点は、異国で育った彼らが抱える複雑なアイデンティティの一端を表しています。韓国社会の中で、同じ韓国籍を持つにもかかわらず、言葉や文化の違いが理由で差別的な対応を受けるというのは皮肉な状況と言えるでしょう。

韓光勲氏が述べているように、1980年代から1990年代にかけての変化は大きく、現在では状況が改善された面も多いようです。しかし、それでもまだ完全に解消されたわけではありません。在日コリアン三世として、日本と韓国の両方の文化や制度に触れてきた彼の視点は、私たちがこの問題を理解するための重要な手がかりを提供してくれます。

特に印象に残ったのは、彼が語る「過去の差別と現在の状況の違い」です。母親世代では就職の際に韓国籍が理由で不採用になることが一般的だった時代があり、外国人登録証に指紋を押さなければならなかったという話を聞くと、当時の在日コリアンがいかに苦しい環境に置かれていたかが分かります。一方で、自身が就職活動で差別を感じることがほとんどなかったという体験談からは、時代の移り変わりを実感しました。これは、彼らの努力と社会全体の意識変化の成果だと言えるでしょう。

ただ、改善が見られる一方で、完全に問題が解消されたわけではないという現実もあります。現在の在日コリアン三世や四世は、かつての世代ほど直接的な差別を感じることは少なくなっているかもしれませんが、微妙な形での疎外感や制度的な制限は残っています。これらの問題をどう克服し、より平等な社会を実現するかは、引き続き問われる課題です。

最後に、在日コリアンに対する理解を深めるためには、過去の歴史や制度的な背景だけでなく、個々の体験や声にも耳を傾けることが重要だと思います。日本と韓国という二つの国の狭間で生きる彼らが抱える複雑な感情や経験を知ることで、私たちはより広い視野を持ち、公正な社会を目指すことができるのではないでしょうか。

執筆:編集部A

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